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瀬川記念小児神経学クリニックについて
瀬川記念小児神経学クリニックと瀬川小児神経学クリニックについて
瀬川小児神経学クリニックは、1973年、瀬川昌也先生により開業された、日本で初めての小児神経専門のクリニックでした。
瀬川家の祖先は、五條天神別当より、摂津高槻藩城主永井家の侍醫となり昌也先生が9代目となります。6代目昌耆先生は、安政三年京橋に生まれ東大医学部を卒業後、ドイツに留学し、帰国後明治24年に千葉の第一高等中学校医学部内科・小児科の教授となられ、明治31年、墨田区亀沢町に江東医院を開業、明治35年、神田駿河台西紅梅町(現地)に、瀬川小児科を開業されました。また、明治19年には小児科の教科書、育児書を書かれました。
さて、昌也先生の曽祖父(祖母方曽祖父)、古市公威先生は、明治8年、フランスに留学、山縣有朋の信任を得て内務省土木局となり、のちに工科大学長に任ぜられ、明治21年には日本最初の工学博士の学位を授かりました。日本の河川、治水、港湾修築に力を注ぎ、近代土木界の最高権威と称され、東大に銅像がございます。古市先生が設計されたのが、文京区弓町 瀬川邸です。古市先生は、フランス留学中に、ナポレオン三世の葬儀で棺を担いだ唯一の外国人でもありました。
瀬川病院は、当時、昌平橋からあがった坂道の突き当りが瀬川家の門になっておりその左折した一角が病院になっていたそうです。関東大震災後の区画整理で削られてしまいましたが、当時は大久保彦左衛門屋敷跡だったそうです。
瀬川病院は、昌世先生、功先生の時代に瀬川小児病院となり、多くの子ども達の診療にあたられました。
さて、昭和48年(1973年)昌也先生は、東大小児科医局をおやめになり、小児神経専門の病院を開業されました。瀬川先生が東大時代にご経験された症例が、のちの瀬川病と発表され、国際的な小児神経のクリニックとなったのです。
瀬川クリニックでは、様々な研究がされておりましたが、なかでも終夜脳波は週1回行われており、瀬川病、チック(トウレット症候群)、自閉症、レット症候群等の病態解明を懸命に研究されました。また、福山型筋ジストロフィー、重症筋無力症、ダウン症候群、頭痛、てんかん等、小児神経疾患の基礎を作られ、日本小児神経学会の創設に関わられております。瀬川クリニックにて、多くの先生方がともに臨床研究をされ、研修をされ、国内外にて活躍されていらっしゃいます。
毎年、日本小児神経学会での海外の先生方の講演を支援され(瀬川プログラム)、学会後に、瀬川邸同敷地内 本郷瀬川ビルにて、カンファレンスを行いました。Coffee breakにて、瀬川邸を訪れることが出来、海外の先生方は大変感激されていたと思います。また、時々、SNCCカンファレンスを企画して下さり、後輩が勉強をする機会を作られました。
昌とし先生が小児病院を開業し、そして、昌也先生の瀬川小児神経学クリニックの時代を経て、醫学を志し、醫業を通じ、社会に奉仕する精神は脈々と今も続いております。